国際空手道連盟 極真会館とは

より詳しい説明

国際空手道連盟 極真会館は、大山倍達(おおやま ますたつ)総裁(1994年4月に70歳で逝去)が、第二次世界大戦終結直後当時の空手界において、攻撃として繰り出した突きや蹴り等の技を相手の体に直接当てる事を禁じた、いわゆる「寸止め」ルールが一般的であった事に異を唱え「自分の攻撃で相手が倒れる程のダメージを与えられたのかどうかは、実際に相手の体を叩いてみないと判らない」として、「直接打撃制(フルコンタクトルール)」を取り入れ、1954年4月、東京の目白に「大山道場」を開き、「大山空手」を教え始めたのが、その始まりとなります。

「直接打撃制空手(フルコンタクトカラテ)」は現在でこそ一般的ですが、当時は非難の的であり、空手界内外から「邪道空手」「喧嘩空手」と揶揄されました。 しかし、大山総裁はそういった誹謗中傷を物ともせず、「実践無くんば証明無し、証明無くんば信用無し、信用無くんば尊敬無し」との思いを胸に、大山空手を発展させ、1965年6月、東京西池袋の地に居を移し、武道の「千日をもって初心とし、万日をもって極みとす」という格言からヒントを得て、更にそこに「真を極める」という意味を加えて「国際空手道連盟 極真会館」と名称を変更、同時に総本部道場も建設。「頭は低く、目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益する」という極真精神を理念に掲げ、心身の鍛練と社会貢献の遂行を目的としました。さらに、極真会においては、人種、民族、国家、政治、思想、宗教、性別、年齢などによる偏見差別を一切排除し、国際交流をもって世界の平和友好を目指す事としました。

また、大山総裁は世界の空手愛好者の為に、「What is Karate? (空手とは何か)」を編纂し、それは世界中でベストセラーとなりました。  また、国内においては1971年に大山総裁と極真空手を題材とした劇画「空手バカ一代」が発表され、空前の極真ブームを巻き起こしました。ちなみに、その原作者は「あしたのジョー」や「巨人の星」の原作でも有名な梶原一騎(故人)氏です。

そして大きな大会としては1969年9月20日に東京体育館にて第1回全日本大会を開催し、2010年3月までに、41の全日本大会(世界大会を兼ねた回もある)、9つの全世界大会を開催し、そのどれもが大盛況を博すこととなりました。また、国内には100を超える支部と900を超える道場、海外には170カ所を超える支部が存在し、総勢85万人もの道場生が在籍、累計で1,200万人もの人々が極真空手を習ってきました。これは単一の空手団体としては世界最大の規模です。

以上の事により、現在のフルコンタクトカラテやK-1等のルーツは、極真会館にあると言っても過言ではなく、その後、空手界のみならず、日本の格闘技界全体に於いて多大な影響を及ぼす事となりました。

大山総裁逝去後、若きリーダーとして、世界チャンピオンにもなった松井章奎が二代目館長に任命されました。松井館長は大山総裁が熱望していた「空手界の大同団結」を実行せんと、「門戸開放」を宣言。空手他流派、また空手以外の格闘技団体とも友好関係を結ぶ事ととし、正道会館主催のK-1等の大会にも極真選手を送る一方で、極真の大会には他団体の選手もより参加しやすくなるよう尽力しました。

これからも極真会館は武道性を重んじ、組織としては常に空手界の牽引役となり、その目的を成就出来るよう、また、道場生達はその個々の目標を達成出来るよう、日々努力精進を続けています。

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